絵本すなわちネバーランド
最近は絵本愛好家の大人が増えて来てるらしい。
この前本屋さんをぶらぶらしてたらひと気は異彩を放つ作品が陳列されてるコーナーに出くわした。
エドワードゴーリーという作家の絵本が並べてあり、非常に気になって手に取ってみたら衝撃を受けた。
これが所謂“こども向きの本“ではなくて、モノクロで不気味な描写が満載、子供たちの悲劇的な死が淡々と描かれる、、、完全に引き込まれてしまった、、、
絵本なのに一貫してみんな悲壮感に溢れた顔しててそのシュールさがなんとも言えない味を醸し出している。
こんな風変わりなジャンルの本もあれば、“こびと図鑑“のようにユニークすぎる生き物を描いた作品や、“てぶくろ“みたいに種を越えた共存を謳った優しい作品もある。
本当にバラエティに富んでいて、どハマりする理由もわかる。
小説の強みは心情描写を一つ一つ理解できる緻密さ精巧さだけど、
それに対して、絵本はもっと直接的に原始的な方法で感覚に訴えかける。
ワクワク、やさしさ、畏れ、哀しさ、儚さ、、、、
そういった感覚へのアクセスの良さは絵本の大きな魅力だと思う。
正直仕事終わりに200ページ以上ある小説を開くのはしんどいけど、すぐに想像の世界に飛び込むことができるなら悪くない。
暖いお茶でも飲みながら独りベッドで絵本と対話するなんて結構贅沢な時間だと思う。
最近は全く読めていないが、
そんな僕も小学校低学年くらいまで母親に絵本を毎晩読み聞かせてもらっていた。
“怪物たちのいるところ“、“すてきな三にんぐみ”、“注文の多い料理店“なんかは、僕にとっての名作中の名作。
真夜中、摩訶不思議な世界への遊覧飛行。
そういった絵本たちは僕に夢を抱かしてくれた。
気づけていないだけで一歩路地に入ると、きっと自分の知らない未知の世界が広がっていてこの世界と違うシステムで動いているのではないか。
幼少期の頃、そんなことばかり考えていた。
そんな昔と比べると大人になった今、状況は変わった。
心は擦り切れてきている。
かなり先まで明確に研修プログラム定められており、限定的な将来選択しかできない未来。
そして試験に向けての不毛とも思える程無限の知識の詰め込み。
試験が終われば労働基準法なんてあってないような労働が始まる。
これが40年以上続く。
今いる自分の立ち位置を認識すると目が眩みそうだ。
将来への期待値は下がり続けるばかりで苦しくなる。
自分を取り巻く世の中や自分自身のポテンシャルに対しての絶望が人を“不感人間“にさせると思う。
僕は、多感さは絶対に捨てたくない。
たとえ周りから子供ぽい、早くオトナになれと言われようとも。
でも染まりやすい自分のことだから、今後仕事で忙殺されたらどんどんそんな子供要素は失われていくだろう。
やるべき仕事は無限にあるが、心からやりたいことがない、、
そんな空虚な状態になってしまう。
だから子供の自分に帰る場所を用意したい。
それが絵本だったりするのじゃないだろうか。
仕事が始まる前に僕のネバーランドを準備しておこう。